一生自分探し

数多ある公開自慰ブログのひとつ

住民の質がダメな街には必ず共通の特徴がある


 

恐らくほっといても多少話題になるだろうけど、少しでも地方過疎・流出問題等への意識が高まることを期待しつつ、私もまた一介の素人なので専門家の意見を個人的にも伺いたい為拡大されることを祈る。

 

ブコメでも述べたが、まずとにかくここのサイトが一番説得力を持つと思う。

 

これでご自身の周辺を調べて頂ければ旧集落(団地ではない居住地)の多くが中世時代の名残だというのが一目瞭然である。 日本は地形的に山ばかりなので農耕にしろ商いにしろ軍事にしろ地形的に効率の良い場所に要所を構え、要所を繋ぐ街道に宿場町等が発展した。

 

で、話は戻って「城下町(大藩)」というくくりで語られてるので理解が進まず批判が多いけども、陣屋町(小藩の城下町)を認知してもらえたら、むしろ今でもある程度栄えている主要な行政地区の多くが元城下町であることがよくわかると思う。

近畿の諸藩 近畿の諸藩 地図 関東の諸藩  関東の諸藩 地図

昭和の中期くらいまでは中世の地区割りをそのままに近代化していったのが

JRの駅の路線がどういう場所を通って、どこに駅を建てたか見れば察しがつく。

その後経済発展し車社会となった現代においては元城下町に商業機能が付属してなかった場合、土地が無く狭い旧城下町は住むにも働くにも不便な土地となった。 

だから観光地あるいは行政特化地として眺めてる分にはいいけども、実際に住むのは

保守的・強権的な人間が多いのは至極当然のことである。

 

旧城下町(行政区)、旧宿場町等(商店街)などの旧市街地から郊外へ移り住み、

イオンや国道沿いのファスト風土を中心とした都市再構築が進んでいる現状。

旧市街地保守住民と郊外型ファスト団地住民との間でどれだけ経済的・文化的差異が

生まれてくるのか今後50年楽しみ。

 

 

レッドタートルを終えて

シンゴジラは確かに迫力があって見ごたえがあったが、何故か満足感はなかった。 

すっきりしただけというか。  ゴジラの上映前CMでも印象的だった「君の名」が

テレビCM流しまくったおかげか青春真っ盛り世代で人気のようだが、それはそれで

一般中高生向けかと思うとレンタルでいいかと見る気を無くした。 

それよりも無声映画ジブリが作ったという記事があって、予告見たら一か八かの

予感がしたので早速見てきた。 以後はあえて記事を書くほど自分の中で整理を

つけたくなった作品だったので記録として残しておく。

 

物語りで印象的だったのは、

1 イカダ破壊によって島(迷い込んだ異空間)に閉じ込めようとするカメの目的

2 数日間放置状態なのに生き続ける男 (生かされる)

3 カメの死と変化を伴った復活 (変化が目的のため近づいた)

4 カメは殺してきた男を愛する (死の変化の為だから感情等は超越している)

5 津波で全員生き残る、竹を燃やす (運が良すぎる・SOSではなく再スタート)

6 子だけ旅立つ (独立心か津波で経験した孤独に対する危機感)

7 最後にカメに戻る (子も残せた、楽しい時を過ごした)

 

これらを大学で聞き流したうすっぺらい知識を元に考察すると、古典でよくあるような

異類婚姻譚で、あの亀はあの島の産土神の化身かなって思うと割りとスッと納得できる。

男は逃がさなかったけど、その目的の一つであった子はスッと脱出できてるしね。

 

表面的には男の生の理不尽さに対する格闘と受容そして幸福というシンプルな筋書き

でありながら、異空間支配者であるカメも津波の理不尽を受けていることから、

カメもまた大きな世界に内包される小さな神として束の間の余興を楽しんでいたのかな

という結論になる。 

 

で、何がこんなもやもやしたかって言うとやっぱり視聴者は男視点なわけで、

そりゃ人生辛いことで理不尽なことばっかで、生きると決断する以上、結局受け入れる

しかないんだけど、現実はこんな夢みたいな女神はいないし、束の間の幸せさえ

訪れないだろうし、それどころかおそらく最初の放置で死んでるからあれ以降は

完全なフィクションなわけなのよね。 だから美しい理想の物語に一時的に

救われるんだけど、現実の私は根本的に救われようがないってはっきり

突きつけられているわけで、良い意味でも悪い意味でも沁みてくるんだよね。

 

 

 

 

 

偏頭痛

何も生産性の無い日々がもたらす無力感に対する苦痛を和らげ、

かつ自己探求の一端を担わせる為、過去何度目かわからぬ

無駄な始動を行うことにする。 どうせ3日坊主なのだから、

書かなくてもいいのだけれども、休日前の午前1時というのは

こういう気分になるものだ。

 

私は今週に偏頭痛を発症し頭痛持ちの仲間入を果たしたようである。

その原因は寒暖の差が激しい場所を行ったり来たりしたことだろう。

その行動の前にふと逡巡したことを覚えている。  

めんどうだし、寒いし、やめとこうかな。  と。    

そしてもう一、二度、温かい格好をする機会があったにもかかわらず、

短い時間だし平気だと敢行した。 そんな短慮の結果が持病を作る

きっかけになったなんてにわかには信じがたいし、出来れば、

二度と再発しないで欲しい。 それほどの苦痛に3日苛まれた。

人生最大の苦痛であったノロほどではなかったが、もしこれが毎週

発症するもんなら、冗談抜きで生きるのを諦めるレベル。

薬で多少はマシになるのだけども、薬持ち歩いてびくびく怯えながら

生きたいと思うほど、今の私の生に価値などはなからないのである。

私が何故書き始めたのかという点について、とある糞記事を見たところにも

あると言える。 ネタ記事だったのだが、「友達さえいれば何もいらない」

という人間を仏陀扱いしていたのである。 なんでこんなネタ記事に

いたたまれない気持ちと、受け流せない気持ちが芽生えたのだろうか。

おそらくそれは私が生きることに対して笑えない程近く、そして遠くに

いるからではないだろうか。 

私はこの数年間を在家修行という面持ちで過ごしている。 社会勉強

であるが、これはまぁほどほどの苦行である。  

バイクに乗る喜びや、美しい景色に出会うこと、新たな知恵や世界を

体験することなどは在家の内でしか楽しめない快楽ではあるものの、

根本的な、「生きていなければならないこと」に対する苦しみは消えないし、

加えて、好きでもない生の為に好きでもない仕事をするのは苦痛である。

その苦痛は「早く生苦と対峙したいけど出来ない」という焦りの苦しみである。

 

何故生きることを課せられているのか という問いは生活苦の苦しみとは

質が異なるとジキサイ和尚が言っていた点である。 

「なんで小学生するために生まれてきたんやろ」という問いは

電車通学の私に半永遠的な呪縛をもたらした。

普通の人として楽しく生きるという点には立っていない。

けれども、それは楽しいのが嫌いなわけでもないし、

苦しいのが好きなわけでは決して無い。

出来れば苦しいとか楽しいとかあんまり考えずに生きて、

でもどうしても感じるもんだから、せめてなんでそう感じたのかは明らかにしたい。

明らかになりにくいのは苦痛だけど、常に頭が痛かったりしたら、

明らかにしたい苦痛さえ取り除く事もできずに、生きることも辛くなる。

生きていくことの辛さ。 生きていることの辛さ。 

どちらも辛くなったらそら苦行やめて菩提樹の下でコーンポタージュ飲みたいわ。

上手いんだろうなぁ。 染み渡るんだろうなぁ。

なんでこんなに美味しく感じるんだろうなぁ。

生きることってこんなに幸せなことだったっけかなぁ。

なんて思うんだろうなぁ。 今ちょっと涅槃行けた気がする。

少なくとも大峰山ごもりの飯の味はそうだったなぁ。

 

車壊れて、バイク壊れて、骨折って、運動も外出も出来んくて、副鼻腔炎なって

偏頭痛なって割りといろいろ起こってるけど、コーンポタージュの妄想1つで

幸せになれるもんだから幸せなんてわからんもんだわね。

 

ああ眠い。 この眠さは心地が良い。